大阪高等裁判所 昭和55年(ネ)495号 判決
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【判旨】
一控訴人が昭和四六年頃大蔵省から大阪市城東区今福南二丁目一一〇番六及び同所一一一番六の土地を買受けたこと、本件係争地一の土地上に控訴人所有建物が存在することは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、請求原因1の事実及び右一一一番六の土地はその北側において同所一一二番の土地と接していることが認められる。
二そこで、右一一二番と一一一番六の土地の境界線が被控訴人ら主張の原判決別紙図面表示のイ点とニ点を直線で結んだ線であるか否かについて判断する。
<証拠>によると、次の事実が認められる。
大蔵省は昭和二二年八月訴外筧傳から一一一番の土地を、次いで昭和二五年八月同人の相続人筧隆夫から右土地に南接している一一〇番の土地をいずれも相続税の物納としてその所有権を取得し、昭和三一年六月六日測量士楯岡稔に右各土地の測量図(甲第三号証)を作成させ、同図面に基づき東西に細長い長方形の形の一一〇番、一一一番の土地を一一〇番一ないし八、一一一番一ないし八に分筆した。右図面によれば、一一〇、一一一番各一の土地の西端線から一一〇、一一一番各八の土地の東端線までの距離は一八間八八(34.36メートル)、一一〇番一ないし八の土地の南端線から一一一番一ないし八の土地の北端線までの距離はいずれも三間三六(6.11メートル)、一一〇番一ないし八の土地の面積合計は五六坪(185.12平方メートル)、一一一番一ないし八の土地の面積合計は七坪四八(24.72平方メートル)である。右測量図を作成し右分筆する際、一一〇、一一一番各五の土地上にあつた同所家屋番号五五四番三の建物は原判決別紙図ニ、ホ、Gの直線(右甲第三号証の図面に基づく一一一番五の土地の北端線)より約五五センチメートル北側までぬれ縁及び軒先が作られており、一一〇、一一一番各一ないし四、六ないし八の土地上の建物も右直線より北側の土地に若干はみ出ていた。右甲第三号証の図面の一一〇、一一一番各一ないし八の土地の東西の距離一八間八八(34.36メートル)は、一一〇、一一一番各一の土地上の建物の西端から一一〇、一一一番各八の土地上の建物の東端までの距離にほぼ一致し、建物の現況に合致する。一一〇、一一一番各一ないし八の土地の実測面積と公簿面積は一致するのに対し、一一二番の実測面積は約463.15平方メートルであつて、公簿面積423.14平方メートルより約四〇平方メートル広い。
以上の事実が認められ<る。>
右事実によれば、一一〇、一一一番各一ないし八の土地の南北の距離三間三六(6.11メートル)は、右公簿面積合計六三坪四八(209.85平方メートル)を東西の距離一八間八八(34.36メートル)で除して算出したことが推認される。
一一〇、一一一番各一ないし八の土地上の建物は建築当初は甲第三号証の図面に基づく一一二番の土地との境界線より南側にあつたのが、その後の増築により右境界線より北側にはみ出たとする原審証人岡本隆良の証言及び原審における被控訴人岡本喜代子本人尋問の結果は、その内容が具体的でなく、かつ、当審における被控訴人岡本喜代子本人尋問の結果及び当審における検証の結果に照らし措信できない。また、増築前の建物の旧軒先が原判決別紙図面ニ、ホ、G線上にあることを認めうる証拠はない。
<証拠>を総合すると、大蔵省は甲第三号証の図面に基づき一一〇、一一一番各一ないし四、七、八の土地を払下げたこと、被控訴人らの父岡本新三郎及び被控訴人岡本喜代子は右図面が作成された後の昭和三二年一一月頃から右一一〇、一一一番各一ないし四の土地上に建物を所有していた松田両次、武原睦治、晋山達夫、新城ツルに対し、昭和四一年頃からは、控訴人が一一〇、一一一番各六の土地上に所有していた旧建物の前所有者佐野恭治に対し、同人ら各所有の建物が右図面に基づき一一二番の土地にはみ出ている部分の土地を賃貸し、賃料を受領したこと、被控訴人岡本喜代子は昭和四五年右武原、晋山に賃貸している土地の範囲を明確にするため、近畿財務局財産二課の常元武志に立会つてもらい、右図面を基に測量し、同図面上の距離でもつて大蔵省が右武原、晋山に払下げした土地と一一二番の土地との境界を確認し、右被控訴人はその境界より建物が北側にはみ出ている部分を従前どおり賃貸したこと、その他の被控訴人二名及び森脇も右境界確認について被控訴人岡本喜代子に一任し、その結果を了承したこと、大蔵省は昭和四五年一二月八日一一〇、一一一番各五の土地を被控訴人岡本喜代子に、昭和四六年一〇月二三日一一〇、一一一番各六の土地を控訴人に甲第三号証の図面に基づき同図面を現地にあてはめた範囲の土地を売却し、一一〇、一一一番各一ないし八の土地の払下げをすべて完了したことが認められ、右認定に反する原・当審における控訴人本人尋問の結果は前記証拠に対比して措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。
右のように大蔵省、被控訴人ら及び森脇、土地の払下げを受けた右武原晋山らは一一一番一ないし八の土地と一一二番の土地との境界は右図面に基づき一一〇番一ないし八の南端の東西線から北へ3.36間(6.11メートル)のところの東西線であることを承認していたことが認められるが、右図面そのものが前記のように公簿面積のみを根拠とし、隣地の一一二番の実測面積と公簿面積との差異や一一〇、一一一番各一ないし八の土地上の建物の北側の位置を考慮しないものであるから、同図面を基に境界を定めるには合理性がなく、また、右図面に基づく境界が境界として承認されてきたとしても、合意によつて境界が移動することはないから、右承認を根拠に境界を定めることもできない。
以上によれば、一一二番と一一一番六の土地の境界は原判決別紙図面表示のイ点とニ点を直線で結んだ線より北側にあると考えるべきであるが、右境界が右図面表示のロ点とハ点を直線で結んだ線より南側にあると認めうる証拠はないから、結局本件係争地一が一一二番の土地に含まれるということはできない。
判旨 三次に、被控訴人ら三名及び森脇が大蔵省との間で境界契約をし、これにより本件係争地一の土地の所有権を取得したかについて判断する。
前記認定のように、大蔵省は甲第三号証の図面に基づき一一〇番一ないし八の南端の東西線から北へ3.36間(6.11メートル)のところの東西線を一一二番と一一一番一ないし八の土地の境界と考え、右境界より南側の一一〇、一一一番各一ないし八の土地を右図面に基づきすべて払下げし、被控訴人ら及び森脇も右境界線を境界として承認し、昭和四五年には近畿財務局の常元武志及び被控訴人岡本喜代子らは右図面を基に右境界を現地で確認したものであり、これらの事実によれば、遅くとも昭和四五年には大蔵省と被控訴人ら及び森脇は黙示的に一一二番と一一一番の一ないし八の土地との境界は右図面に基づき一一〇番一ないし八の南端の東西線から北へ3.36間(6.11メートル)のところの東西線とする合意をしたといえる。
甲番地の土地の所有者Aと隣地の乙番地の土地の所有者Bとが右両土地の境界線を合意した場合、特別の事情のない限り、右合意は右境界線をもつて各所有土地の所有権の限界線と定めたものであり、合意による境界線と真実の境界線とが合致しないときは、両境界線にはさまれた土地の所有権を一方から他方へ譲渡する合意をしたものと解するのが相当である。
本件において、特別の事情は認められないから、右合意により被控訴人及び森脇は本件係争地一の土地の所有権を取得した(なお、大蔵省は昭和四六年一〇月二三日控訴人に一一〇、一一一番各六の土地を売却したが、本件係争地一の土地は売却していないから、控訴人が一一〇、一一一番各六の土地の所有権取得登記を経由していても、被控訴人らとの間で本件係争地一の土地取得に関し対抗力の問題を生じない。)。
(小西勝 大須賀欣一 吉岡浩)